〈ムーンライトながら〉本当の廃止理由は?1996年から2020年までの変遷まとめ

快速ムーンライトながらは東京と大垣を結んでいた夜行列車で、末期は青春18きっぷシーズンのみ臨時設定されていましたが、2021年1月22日にJRより廃止の発表がありました。

新型コロナウイルス感染症の影響により2020年の夏・冬は設定が見送られていたため、2020年春の運転が最後という形になりました。

(最終更新:2021年1月22日,初回投稿:2020年1月18日)



ムーンライトながらは夜間に寝ながら長距離を移動でき、「青春18きっぷ」での利用が可能な快速列車であったこともあり、春・夏・冬のシーズン中は多くの利用者でにぎわっていました。

もともとは毎日運転の定期列車でしたが、2009年春より青春18きっぷ期間のみの臨時運転となり、年々その設定日数が減少したのち、2020年春の運転をもって廃止となりました。

今回の「ムーンライトながら」廃止の理由は「お客さまの行動様式の変化に伴い列車の使命が薄れた」「使用車両の老朽化」と記載されていますが、2019年冬の時点としては指定席が満席となる日も多く、「青春18きっぷを利用する層」の行動様式が大きく変化したようには見えませんでした。

個人的な見解ですが、夜行列車の縮小・廃止の背景として、国鉄時代とは異なり限られた職員で運営せねばならないJR各社にとって、乗務員の労働環境維持や夜間保守時間の確保も目的であったのではないかとみています。

ムーンライトながらも近い将来に手仕舞いにしようと考えていたところ、使用車両185系の定期運用離脱と「新型コロナウイルス」という負のきっかけが重なってしまった…というのが正直なところではないでしょうか。

新宿~新潟に設定されていた「ムーンライトえちご」も、使用していた485系の老朽化により臨時運転日が徐々に減っていき、最後は何の告知もなくひっそりと設定がなくなりました。

そのような寂しい引退のしかたに比べたら、必要とされて、公共交通機関として役目を担ったまま廃止されるというのは、ひとつの列車として幸せなことではないでしょうか。

ムーンライトながらの歴史

ムーンライトながらの前身は急行型車両を使用した無名の夜行列車(通称「大垣夜行」)であり、1996年春から「ムーンライトながら」という列車名になりました。

ムーンライトながらの歴史は個人的な大別として4期に分けることができ、

4期 2013年冬~
 臨時ながら 185系 東京23:10発/5:05着 全区間全車指定席

3期 2009年春~2013年夏
 臨時ながら 183系 東京23:10発/5:05着 全区間全車指定席
  ※2009年春に定期ながら運転終了

2期 2007年春~2009年春
 定期ながら 373系 東京23:10発/5:05着 下り豊橋まで全車指定席
 臨時ながら 183系 91/92号 東京発着 全区間全車指定席

1期 1996年春~2007年春
 定期ながら 373系 東京23:43発/4:42着 下り小田原まで/上り熱海まで全車指定席
 臨時ながら 183系 91/92号 下りは品川発 全区間全車指定席
  ※臨時ながらは2003年夏より運転

といった感じになります。

「373系で運転していたのはいつ頃までだっけ?」
「小田原から4~9号車が自由席になっていた時代があったよな」

といった、ムーンライトながらに乗車したことがあるかた向けに、それぞれの時期の特徴をまとめてみました。


なお183系は「183/189系」と書くのが正しいようですが、これ以降ではすべて「183系」と表記しています。

4期 2013年冬~ 臨時ながら185系

2013年冬、JR東日本(田町)の183系が限界を迎え、いよいよムーンライトながらも廃止か…と囁かれていたところ、大宮の185系4+6両編成で運転されることになりました。

元々185系は特急踊り子としてJR東海区間である熱海~三島の走行実績があるのと、特急料金不要の列車に充当することを想定して造られた車両ということで、良い候補だったのでしょう。

引続き運転日は減少しており、2019年冬の運転は12月下旬の約10日間と、いよいよ風前の灯感が出てきていました。


↑大垣に”緑ストライプ185系”という大きな違和感。


↑浜松では下り側ホームに着発。

さてネットでの前情報では「1人で2席購入する人が多い」とか「転売に失敗した席が払戻しされないので、実際に乗ってみるとガラガラ」とか色々言われていましたが、乗車した日は特にそういった様子が目立つ印象はありませんでした。

3期 2009年春~2013年夏 臨時ながら183系

2009年春のダイヤ改正にて定期ながらが廃止され、臨時ながら91/92号のみ生き残る形になりました。

臨時ながらは東京~豊橋間は定期ながらの時刻を引き継ぐ形で設定され、豊橋から名古屋までは無停車となりました。

臨時といいつつも当初は青春18きっぷ期間中は毎日運転(年間120日程度)していましたが、徐々に運転日を減らしていくことになります。

なお私はこの3期の期間中にムーンライトながらを利用することは一度もありませんでした。

2期 2007年春~2009年春 定期ながら&臨時ながら91号/92号

2007年春のダイヤ改正にて、定期ながらの運転時刻や指定席の設定に変化があり、下りが東京23:10発に繰り上がり、上りは5:05着に繰り下がりました。

この時刻設定は2019年冬のまで変わることなく残ることになります。

下りは東京発が繰り上がったことで「0時(24時)を超える駅」が横浜から小田原に変更となりました。

青春18きっぷは「0時から有効」となるため、0時(24時)を過ぎる最初の停車駅までの乗車券は別途用意する必要があり、これが小田原まで必要となったため1000円程度の出費増となりました。

上りは東京着が繰り下がったことで一部方面の始発へ乗り継げなくなりました。

また、この時の大きな変化として全車指定席化が挙げられます。

下りは豊橋まで、上りは全区間で全車指定席となり、自由席ねらいでの乗車ができなくなりました。


↑東京ではムーンライトながらの直前に急行銀河「大阪行」が発車しており、大阪と大垣が並んで表示されていました。


↑閑散期平日も運転していたため、指定席券が310円という日もありました。

1期 1996年春~2007年春 定期ながら&臨時ながら91号/92号

前身である通称「大垣夜行」に代わり、1996年3月に特急型373系による毎日運転の「ムーンライトながら」が設定されました。


↑静岡にて。下りは静岡、浜松、豊橋で長時間停車があり、そのスキに改札外のコンビニへ駈け込んで夜食を買う…といったことが可能でした。

下りは東京23:43発、東京近郊の通勤客を分離するためか小田原までは全車指定席、小田原から4~9号車は自由席となり、さらに名古屋で7~9号車を切放すというダイヤでした。

そのため青春18きっぷ期間中は「1~3号車」→「4~6号車」→「7~9号車」の順で売り切れていました。

また、車端部にあるセミコンパートメント(ボックス席)はマルス端末に「ムーンライトながら(コ)」という別列車で登録されていたためか知名度がやや低く、通常の座席が満席でもセミコンパートメントなら空いているということが何度かありました。


↑指定席券を持っていない場合は小田原まで普通列車で先行するよう案内。


↑名古屋で後ろ3両を切放し。


↑大垣到着後は一旦車庫に引上げて分割後、3両はホームライナーで豊橋へ。

上りは東京4:42着という驚異的な早朝到着設定で、各方面への始発に乗り継げるということで中京・静岡地区から東北方面等への旅行に重宝されていたようです。下りと同様、中京地区の通勤客を分離するためか上りは熱海までは全車指定席でした。

臨時ムーンライトながら91号/92号は前身である通称「大垣救済臨」に代わり、2003年夏より設定されています。

下りは始発駅が品川であり、定期ながらよりも遅く出発して大垣には1時間早く着くということで、大垣から乗り継いで西を目指す際に便利な設定でした。


↑浜松にて長時間停車中に並ぶ、定期ながらと臨時ながら91号。
 その後、豊橋でも両者が並び、臨時ながらが先発するダイヤでした。


↑373系の走行音はこちらから。

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