函館本線の支線(砂原線)にある「流山温泉駅」が2022年3月12日のダイヤ改正にて廃止となります。
流山温泉駅にはかつて新幹線がとまっており、その頃の様子も含めて紹介します。
(初回投稿:2022年3月11日)
砂原支線の流山温泉駅
流山温泉駅は函館本線の支線(砂原線:さわら線)大沼~森の間にある駅で、2022年2月現在は大沼から2駅、新函館北斗からは4駅という位置にあります。
函館本線には①七飯~大沼と②大沼~森にそれぞれ支線があり、①は藤城線、②は砂原線とそれぞれの支線に名前がつけられています。また、いずれの支線も急勾配を避ける目的で追加開通したもので、②砂原線は駒ケ岳のまわりを海沿いにぐるりと回ります。
この②砂原線を経由する列車は少なく、2022年3月のダイヤ改正直前では下り普通列車が5本、上り普通列車が7本のみの設定となっていました。
砂原線の歴史は かなり濃い もので、かつて存在した大沼電鉄と渡島海岸鉄道のルートを、第二次世界大戦中に国有化して支線として開通させました。
一方で流山温泉駅の歴史は浅く、開業は2002年であり、JR系の運営であった「流山温泉」の最寄駅として追加で設置されました。
流山温泉駅には新幹線が「とまっていた」
流山温泉駅には、2002年の開業時より新幹線「200系」の車両が留められており、先頭車-中間車-先頭車の「3両編成」の形で静態保存されていました。
↑まったく事前知識が無いなか、森から乗った普通列車の車窓に、突然200系が現れて驚く…!
こんなものが置いてあると知ってしまったからには、しっかり見てみたい…ということで、数ヶ月後にあらためて訪問しました。
車両は函館方(大沼方)から、
・ 1号車 221-15 東京方先頭車
・11号車 215-15 グリーン車
・12号車 222-15 盛岡方先頭車
という3両で、11号車と12号車の2両は流山温泉駅のホームに掛かる形で留まっていました。
なお、車両番号から情報を辿ると、これら3両はF37という編成の一部で、現役時代はビュフェも組み込んだ12両編成で活躍しており、2001年10月に営業運転から離脱しています。
展示プレートには「この北の大地に新幹線が走ることを願って、ここに新幹線車両を展示することとしました」との記載があり、なかなかの愛を込めて設置されていました。
新幹線は撤去、温泉施設は廃業
静態保存されていた200系3両は、北海道の屋外で野ざらしにしていたという条件面もあり徐々に劣化が進行していました。
そんななか、2013年に北海道新幹線の札幌延伸が決まったのを期に、2013年5月にJR北海道より「役割を終えたと判断し、撤去解体する」との発表があり、その翌月末までに撤去されました。
撤去の発表は、上記の2回目訪問のわずか半年後のことで、たいそう驚くとともに、行けるときに行って見ておいて良かったなと思ったものです。
そして撤去後の様子を、撤去の翌月に見に行ってきました。
↑保存車両が撤去されて寂しいねェ…というのは他でも見られる光景ですが…
北海道新幹線の新青森~新函館北斗の開業を3年後に控えたタイミングでもあり、「北の大地に新幹線が走る」という夢がかなう瞬間を、保存されていた200系は迎えることなく撤去されてしまいました。
車両の撤去後は、上の写真のように、先頭車の連結器カバー(通称”まるい鼻”の部分)と短いレールだけが展示品として残されました。
なお温泉施設としての「流山温泉」は、200系がいなくなってしまったら経営が傾いてしまった…というわけではないと思われますが、もともと赤字営業であったようで、2015年2月に閉業となりました。
2022年3月ダイヤ改正にて駅も廃止に
温泉施設の閉業後も駅としては存続していましたが、周辺住民による利用は非常に限定的であったようで、2022年3月のダイヤ改正にて流山温泉駅も廃止されることになりました。
なお、隣接する池田園駅、銚子口駅も同時に廃止となり、砂原支線の駅が3駅連続で消滅することになりました。
↑1枚の駅名看板に書かれた「3つの駅」がすべて同時に廃駅というのは珍しいのでは。
ところで、北海道にありながら「流山」「銚子」「砂原(さわら)」と、千葉県にゆかりがありそうな地名が続くのは、開拓時代の歴史などがあるのでしょうか…?
(※千歳線の「北広島」は、広島県と関連があるそうですよ。)
そして銚子口から3つ森方には砂原線の路線名の由来である「渡島砂原(おしまさわら)駅」があり、この駅名に渡島支庁の「渡島」を冠するのは「千葉県に佐原(さわら)駅があって読みが被るから」であったそうです。